石兵八陣。孔明、たくみに八陣図を布く
魏では重臣たちの画策により、献帝に譲位をさせて曹丕が帝位についた。玄徳も蜀皇帝となり、魏に対抗する。
玄徳は孔明や重臣たちの反対を押し切って呉討伐の兵を挙げるが、出陣直前、張飛が臣下に裏切られ、はかない最後をとげた。
玄徳のもとに関羽と張飛の息子、関興と張苞が馳せ参じ、蜀軍は連戦連勝を続ける。
呉では陸遜が大都督に抜擢される。陸遜は徹底した持久戦で、東南の風を待ち、玄徳の布陣を火攻めにした。
玄徳は白帝城に逃げ込むが、蜀兵の多くを失った心労がたたり、孔明に後事を託して世を去った。
玄徳亡き後、孔明は劉禅を皇帝の位につけた。
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